人生に必要なものは多くない
今年2,3月は海外に一人旅を二回する予定でしたが、コロナウイルスの影響で航空券もホテルもキャンセル。いつ行けるのか、目途すら立ちません。
海外旅行どころか、レストランや映画、ジムなど、ちょっとしたお出かけすらできなくなり、旅行や外食、ジム通いなど今まで当たり前のように感じていたことの一つひとつが、どれほど恵まれたことか痛感しています。
『徒然草』に学ぶシンプルな暮らし
吉田兼好は『徒然草』の中で、生存上必要なのは第一に食事、第二に衣服、第三に住居だとした上で、飢え、暑さや寒さ、雨風をしのいで静かに暮らすことが人生の楽しみだと述べています。
ただ、病気になってしまったら人生を楽しむどころではなくなってしまうので、医療は無視できません。
そのため兼好は、衣食住に医療を加えた四つを生きていく上で必要なものとし、これらを倹約しつつも不足がない状態でいることを理想としました。これら四つ以外のものを望んであくせくすることは「贅沢」だと述べています。
生活に必要なものは衣食住の三つに過ぎない。ただし、病気になると辛いので医療も欠かせない。食べ物、衣服、住居、薬、この四つ以外のものを望んであくせくするのは贅沢。(徒然草第一二三段)
人生に必要なものはそう多くないと兼好法師が考えていたことが分かります。今私たちが生きている時代には、兼好が生きた時代にはなかった自動車やパソコン、スマートフォンといった文明の利器が数多くありますが、衣食住および医療が大切という基本的な考え方は、現在にも十分通用するような気がします。
所有物が多ければ多いほど幸せを感じることができるのだとしたら、現代人は昔の人々よりはるかに幸せだということになります。しかし実際には、うつ病、いじめ、過労死など現代社会ならではの様々な問題があり、現代人の誰もが昔の人々より幸せだとは言えない状況です。むしろ、物が少なく今より不便な暮らしをしていた昔の方が、幸せを感じていた人が多かったかもしれません。
いったん基本的なニーズを満たしたら、私たちの幸せは所有物の量とほとんど関係ありません。
辰濃和夫さんは『ぼんやりの時間』の中で上記のように仰っていますが、まさにその通りだと思います。
まだまだ続く「おうち時間」にしたいこと
映画やYouTubeを観るのもいいけれど、何となく今は最新のものばかりでなく、敢えて古典と呼ばれるものに触れて、基本に立ち返りたい気分です。今は『徒然草』のほかに『菜根譚』をよく読んでいます。
スマホやテレビに触れていると、つい暗いニュースばかり目に飛び込んできてしまうので、情報機器から離れてゆっくり考える時間を持ちたいです。
古典を再読していると、以前読んだ時には特に何も感じずスルーしてしまった箇所で、気づきが得られることがあります。
今、コロナウイルスの影響で不自由な環境下に置かれているからこそ感じられること、新しい価値観、気づきを大切にしたい。
大好きなお花屋さんも休業中。
でも、スーパーで一束300円の赤いバラを見つけて、自分にプレゼントしました。300円でも十分すぎるほど、優雅で豊かな気持ちになりました。